ご飯を残す人々

コメント(全4件)
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テット ― 2007-03-08 15:23
食物に対して果てしなく失礼な新習慣が横行しているようですね。思うに、情報発信サイドもぼちぼちネタ切れ息切れで事切れそうな人々が藁にもすがる思いで捏造……げふんげふん、旧来の価値観をひっくり返すような奇抜な新習慣をでっち上げ……げほっ、提案する、というようなパターンがここ十年ほど目立ってきているような気がしますね。

コミュニケーションが面倒、その都度判断するのが面倒、全部お膳立てしてもらえる楽チンがいちばん。そんな時代の風習が、「頼んでおいて、残す」というスタイルにつながるのかとも思うと、おっちゃん情けなくて涙が出るわぃ……。だって今や、日本人の美徳であった「もったいない精神」をケニアの女性から逆輸入する時代ですからね。おっちゃん情けなくて(略

結局こういう事は、小さいときからの教育でしか継承していくことはできないのだと思います。これから親になる人々、まだ小さい子供をお持ちの若い親御さんからまず、気持ちを入れ替えて欲しいと切に願います。
りあん ― 2007-03-09 01:38
あっちでもこっちでもやたらと残す残すという記述になっていて驚いたのですが、「ご飯は食べない」とか「避ける」とかじゃなく「残す」という言葉を使うと言うことはどう考えても=捨てているとしか読めませんよね。当たり前のようにその言葉を使って、誰もその「残す」こと自体は(文面から判断する限り)全く気に掛けていないらしいことに一番驚きました。ダイエットが趣味のような一般の人(や自慢にならなそうな自己流ダイエット法を語る有名人)がブログで「ご飯は残しますよ、勿論」みたいなことを書いているのは激しく腹が立つか「あーあ」な気分になるだけですが、仮にも「料理研究家」があんな記事を堂々と書いているのはもはや理解不能です。米農家の人達と小林カツ代さん(以前読んだ記事でバブル時代の民放料理番組で収録が終わるや否や料理や余った材料を掻き集めて捨てようとしていた生ゴミ部隊に驚き、自分が全部持ち帰ったという話を書かれていました)に謝れ!と言いたいです。他にもかなり???なアドバイスがてんこ盛りだったのですが、それこそ目新しくて楽ちんな方法に飛びつく人達がそれをそのまんま真似するのか...と思うと何だか情けなくて(略)

一般的に物事に対しての考えが人それぞれなのは理解できますが、「自分がここで食べなければ確実に捨てられる」ことが明らかな情況で全く「もったいない」と思わず残せる人というのはどうも理解し難いです。「井戸に落ちそうな子供を見て『あっ』と思う」のと「食べ物が捨てられるのを『もったいない』と思う」のは人間として同じくらい自然な感情ではなかろうかと思うのですが。 ちょっと強引ですか。でも、検索で見たサイトで食べ物を残そうとする子供を「食べ物を粗末にするな」と叱る親を見て「戦時中じゃないんだし」とコメントしていた人もいましたし、「豊富にあれば捨ててもいい」的な認識の人はいるようですね。それもやはりその人がどう育てられたかが影響するのでしょうねー。

日本人は食べ物に関して(食べ物そのものやどう食べるかも含めて)かなり好奇心旺盛だと思いますが、マスコミなどの「絶品ナントカ」「究極のカントカ」「あなたの○×は間違っている!」みたいな取り上げ方を見ると一種ヒステリックな感じもしますね。それに安易に飛びつく人も多いので、更に話題性を求めて狂乱振りに拍車がかかるのかなとも思いますが。個人的には旅行番組などで郷土料理を食べている場面はおいしそうだなーと思いますが、究極のナンタラ食とかの類でタレントがとにかく食べまくってうまいうまいと騒ぐようなのは見ているだけで消化不良を起こしそう...というか騒がしくて途中で消しますが。
テット ― 2007-03-09 09:33
日本には「もったいない」という美徳と並行して「湯水の如く」という表現があるように、身近に豊かに溢れている物だったらジャンジャン使ってジャンジャン無駄にすることが是とされるという、矛盾ともとれる考え方がありますよね。

(余談ですが、イギリスでは食器を洗う際に洗剤をすすぐ水に対しても節約の精神があるため食器に洗剤が残って料理の味を落とすという、まことしやかな風説を耳にしたことがあるのですが、本当でしょうか?(笑))

とにかくそうした「湯水の如く」的感覚がとうとう、自らの血肉になるという意味で特別であるべきところの食物にまで敷衍されてしまったのが現代という時代なのでしょう。戦後の復興からバブルに至る成金感覚(「今まで苦労してきた分、努力して稼いだ金を使って贅沢して何が悪い」的な)をいまだに引きずっているかの如き、浪費に対する憧れみたいなものすら、マスコミによる狂乱的に垂れ流しな情報群に感じざるを得ませんね。

僕も、スタジオで話題の高級坦々麺をすするゲスト陣とか、高級スイーツを賭けてクイズに挑戦、みたいな企画を見ると、ゲンナリしてその浅ましさにただただ寒気を覚えます。僕ら、いつの間にこんなに下品な民族になっちゃったんだろうなぁ、って。
りあん ― 2007-03-10 00:04
確かにそういう表現もありましたねー。でも、用法を考えると「成金金満家が金を湯水の如く使って土地を買い漁る」とかいうようにあまりいいイメージでは使われない気がするのですがどうでしょうね。今手元の辞書を見たら「湯水のように使う:金銭を湯や水のようにむだに使う」と「無駄」というネガティヴな解釈が入っているので、この場合やはり裏に「もったいない」の意識があるような印象も。
ちょっと脇に逸れると、湯や水は無駄に使ってももったいなくないのか、という突っ込みはありますが。この辺り河川が多い日本の地理的情況が関係しているのかどうだか。

> まことしやかな風説
節約の精神なのかどうなのかはよく分かりませんが、確かにあちらの家庭ではまず排水口に栓をして熱めの湯を勢いよく出して溜めつつ洗剤を流し入れ>泡立った湯の中にどかどか食器を入れて洗い>汚れが落ちたら食器は流しに入れたまま栓を抜いて湯を流し>自然乾燥、が食器洗いの手順になっております。初めて見た時はこれでいいのか?本当にいいのか?と思いつつ良くも悪くも環境に馴染みやすい性質なので郷に従ってました...が、さすがに友人の家で乾きかけた皿に泡が残っているのを見た時はこっそり洗い直しました。少なくともよくお世話になっていた友人の両親の家では食器に洗剤の匂いが残っていたとかいう(洗っている時はかなり匂いがします)記憶はありませんが、目に見えないレヴェルで完全に落ちているかどうかは定かではありません。

あ、でも今は当時よりかなり食器洗い機が普及してそうなのでもしかして料理の味も上がってるかも♪←そういう問題では

バブル時代も訳の分からない贅沢賛美の風潮がありましたが、一旦不況を経験した後の最近の情況はまた別の種類の贅沢奨励と言うか、やたらと乱用される「セレブ」という単語に感じられるある種の選民思想?(かなり低いレヴェルのように感じますが)的な差別意識があるような気がして、単に浮かれていただけのバブル時代より却って無気味な感じがします。「一度浮かれ騒いで何にでも手を出して失敗したから、今度はもっと価値を見極めて」というのは分かるのですが、結局はマスメディアが煽る安っぽい「セレブ指向」に踊らされているような。細かいことを言わせてもらうと、英語のcelebrityと日本での「セレブ」の用法の間にも深くて暗い溝があるようですが。

> その浅ましさにただただ寒気を覚えます
そうなのですよね、ブランド品でも高級エステティック・サロンでも優雅なホテルライフでも興味がある人は勝手に散財すれば、と思いますが、食べ物に関してそういう高級嗜好品と同じような扱いをする番組は見ていて嫌な感じがしますね。やはり沢山の人の手を経ていることもありますし、食べるということは生きるために必要な基本的なことですから、おいしいものを本当においしく食べるならいいですが、「とりあえず食べておく」ことが人のステイタス(?)を決めるかのような扱い方は違和感があります。特にスタジオで次々と違う料理が出てくるような番組は、録画だとしても構成の慌ただしさからして最初の一口とコメントの後最後までちゃんと食べるとはとても思えませんし、残った料理の行方が気になります。←結局それだったり。

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