コメント(全2件)
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テット ― 2007-03-05 09:47
お米の食べ方と魚の食べ方にかけては、僕も少々、こだわりと一家言を持っております。といっても、昔の人ならみな当たり前に言っていた事なんですけれどね、「米一粒育てるのにも1年かかるんじゃぁ!」みたいに(笑)。 昔、就職したての頃に両親とそんな話をしていて、場末の飯屋で丼掻き込むときだって米粒一つ残す事はない、と言ったら、欠食児童かと激しく笑われました。あんたらにそう育てられたはずですが何か、と言う感じでしたが。
魚も、日本海の荒海にもまれた新潟育ちの父に仕込まれたのか憶えがありませんが(笑)、気付いたら骨までしゃぶる勢いで(恥)そこそこ綺麗に食べるようになっていました。食べ終わったら骨と皮を皿の隅にまとめるとか、マナー講座的な事も特に教わった記憶もないまま、気付いたらやってるなー、と。多分小さいときから父の食べ方を見て刷り込まれたんでしょうね。
結論としてはりあんさんと同じ、「好きだからきちんと食べる」これに尽きるんじゃないかと僕も思います。やっぱり、中途半端な食べ方をしたら農家の方や喰われてくれる魚に申し訳ないという気分になりますからね。ただ、会食などの席で骨までしゃぶるわけにもいかずジレンマに駆られるのも、我ながらいかがな物かと悩ましく……(笑)。
りあん ― 2007-03-05 18:25
おお、テットさんもですね!実のところわたしは子供の頃は少食でして(笑)、保育園のお弁当も毎回全部食べられなかったし魚の食べ方も下手だったのですが、「折角の食べ物なのにもったいない」という感覚はありましたよねー。小学4年生頃に盲腸の手術をしてから俄然食べるようになったような気がするのですが(体質の変化?)、好きなものも増えて食べることが楽しくなるほど理由もなく残すなんてもったいない、と思うようになったかも。特に今は実家から自分も知っている近所の人が作った米や野菜をしょっちゅう送って貰ったり、店で買うにしても(価格と折り合いのつく範囲で)できるだけ新鮮で作り方に納得できるものを選ぶので、無駄にせずおいしく消費せねばという義務感のようなものが。
テットさんは日本海の魚介類&お米がおいしい新潟育ちのお父様の血を受継いでいらっしゃるのですね。わたしは隣の米どころ会津育ちの父の血を引いておりますー。魚は、秋刀魚大好きな弟の食べ終わった皿に自分もこれではいかーん!と開眼させられたような(笑)。今では大分綺麗に食べられるようになったと思うのですが...というかわたしも本当に骨までしゃぶりますよう。鶏の骨付き肉なんか自分でもこらこら!と思うくらい。食べるために殺したのだからせめてきっちりおいしく栄養にさせて頂きます、と毎回意識しているわけではないですが、やっぱり好きで食べるからにはとことん行きとうございます。
仕事上の改まった付き合いが多い人は、なかなかしゃぶり道(て何)を貫くのもままならないのはありますよねー。わたしの場合会社などに属していないのもあって、一人でしゃぶってたらちょっとまずいなぁという食事の場は比較的少ないですが、選択できる時は相手によって無難なものを選ぶことはありますね。友人知人は既に残すの嫌いな人だと知っているのでそっとしといて(笑)くれますし、友人関連のつてなどで新しく知り合う人達もなぜか大抵食べる/作ることが好きな方が多いので、最初の時に「残せないたちなので時間掛けて徹底的に食べますがすみません」と断って本当に徹底的に食べると、却って喜ばれることが多いような。幸せ者だと思います(笑)。ここを見ていないそういう友人たちがダイエット(?)でご飯を残す人の話を聞いたら、やっぱり理解できないでしょうね。
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